Interview
姪浜米屋 吉村商店様
インタビュー
今回は、西区の生の松原にある “姪浜米屋 吉村商店”代表の吉村 正太さんにお話を聞いてきました!
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吉村 正太(よしむら しょうた)さん
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Taberiiインタビュアー
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まずは、吉村商店さんの歴史を教えていただけますか?
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最初、西区の愛宕、今で言ったら姪浜教習所の3、4軒隣で祖父が始めました。その前が食糧営団といって、農協の前身に勤めてあったんですよね。おそらく10代、20代ぐらいの頃に思い立って、起業を考えたんじゃないですかね。もともと、なんか商売はしていたと思うんですけど。ちょうど僕が中学校入ってぐらいから、だんだん米の自由化で、いろんなとこで米が売れるようになってきて、規制緩和とかも入って、米屋さん、酒屋さんがだんだん少なくなっていった感じですよね。会社自体の解体は平成6、7年です。
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お父様はいつ頃、引き継がれたのですか?
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祖父が昭和42、3年頃に60歳前ぐらいで亡くなった後に、20歳ぐらいだった父が継ぎました。
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お若いですね。お父様が継がれた時も米屋さんだったのですか?
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はい、米屋さんとして継いでいますね。
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お父様も米屋さんとして継がれたんですね。
吉村さんは幼少期からお手伝いされていたのですか?
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そうですね、小学生の時から大学生の時まで手伝いをずっとしていたんですよ。大学出て1年間は祖父が作った「福岡米穀」という会社があったんで、そこに勤めていたんですが、米の自由化の影響で会社が別の会社に買収されたんですよね。それから僕は大学を出て、15年くらい作業員として、箱崎で船の荷揚げの仕事をしていました。
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作業員ですか。どんなお仕事ですか?
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船で運んできたものを福岡に陸揚げしたり、積んだりする仕事ですね。 いい経験させてもらいましたよ。労働組合の青年部長や博多港に入った九州新幹線のレールや西鉄電車を船から上げたりとか。あとは、レクサスの車を中国向けに送るのを全部積んだり。いい勉強になりました。
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そういう仕事は体力がいるんじゃないですか?
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必要でしたね。当時はね、熱中症対策とか、そんなのまだあまりない時代ですから。
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それだとかなり過酷な現場だったんですね。
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その分ね、給料はちょっと良かったですけど。当時、今と働き方違いますし、ものすごく縦社会の厳しい会社でしたね。
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今のお米屋さんの吉村さんが、前職の経験を活かせるところはありました?
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やっぱりありますよ。人間関係とか、あん時のきつかったのに比べたらねとか。
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なるほど。今もいろんな方と接することが多いお仕事だと思うんですけど、人との繋がりやコミュニケーションは、そこで学ばれたところも多いんですか?
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港もそうですけど、やっぱり子供の時からお米屋さんを手伝っていたからじゃないですかね。金銭の受け渡しとかずっとしていたので。
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では、米屋さんとしてのやり方は昔と変わらないのですか?
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いえ、我流でしましたね。父は継ぐことに反対だったんです。
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どうしてですか?
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15、6年前に父が癌になって、「米屋をもう潰す」と言ったんですよ。もう米屋は大変やからしなくていいって。でも、「いやいや、俺がする」って言って、いろいろ喧嘩しながらで。
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お米屋さんを潰したくないというのはどうしてですか?
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やっぱり米屋業界から吉村っていう名前を無くしたくなかったからですね。
姪浜から吉村商店っていう看板を外したくなかっただけじゃないですかね。
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そうだったのですね。
ゆくゆくは米屋をしたいと思っていらっしゃったのですか?
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したかったですね。
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かなり説得されていたんじゃないですか?
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いえ、癌が分かって4か月後に亡くなったので、父は亡くなるまでずっと反対でしたよ。父が亡くなった後、残りのお客さんがいるじゃないですか。なので、会社員をしながら米屋を2年ぐらいしまして、嫁さんから「しきるなら会社員を辞めて米屋さんに専念したら」って言われて、会社員を辞めました。当時、お客さんは少なかったですけど、今はおかげさまでずっと伸びていっていますね。
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そうだったのですね、お父様からの反対もありましたけど、お店を継がれた時はどのような思いだったのですか?
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ワクワクドキドキ。不安っていうのはなかったです。どうにかなるやろう。待っとけよ、どこでも行くぜ、っていう感じでした。そういう気持ちでしたね。今でも少しはその気持ちですよ(笑)
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かっこいいですね!
おじい様の代から受け継がれているポリシーなどありますか?
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昔から基本的に米屋さんというのは、「町の米屋さん」なんで、昔は毎日、何合単位で買いに来る人とかおられたらしいですね。その人が来るまで店を開けとったとか、そういう話は聞いてきました。なので、今も変わらず町の米屋さんを基本に置いて、大事にしていますね。
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なるほど。その街の人に馴染むような。
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そうです。高齢の方にも対応できるようには考えています。
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あたたかいですね。もう営業時間終了と共に閉めてしまうとかではないんですね。
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出来る範囲はですね。土日は休みにしていますけど。
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現在の吉村商店さんのお客さんは、吉村さんが開拓されたのですか?
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大体そうですね。何軒か昔からの方が残っていますけど。
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勝手に長年の歴史があるから、お客さんがいらっしゃって、引き継がれたのかなと思っていました。
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一部は残っているけど、ほとんどは開拓したか、仲良くさせていただいて注文いただいていますね。
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どんなお客さんが多いんですか?
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飲食店、老健施設、保育関係とかですね。珍しいところで言ったら自動車会社とか。いろんな方と仲良くさせていただいていますね。
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開拓はどのようにされていっているんですか?
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米屋始めた頃は、一軒ずつ「こんにちは」って居酒屋さんとか回ったりとかしてましたけど。ただ会合とかで仲良くなった繋がりがあって、ご紹介とか。Taberiiさんもそうですよね。あとは、SNSはやっていないので、口コミ・ご紹介ですね。
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そうですよね。吉村さんのことを調べたくてもSNSで情報がないんですよ。
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あるのかないのか分からない米屋さんで面白いでしょ(笑)
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法被姿での営業はいつからされているのですか?
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自分の代になってからは、最初からしていましたね。
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どういったきっかけで?
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昔の商売人が好きなんですよ。大正、昭和の初期の商人は法被着て、パナマ帽を被って仕事していますもんね。そういうイメージがあったので、法被姿で営業しています。僕は他の人と一緒は好きじゃないからっていうのもありますね。あと、自分の店の名前も入っているから、費用対効果考えたら安いじゃないですか。
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グッズは法被以外もあるんですよね?
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前掛けとか、トレーナーですね。
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販売などもされているんですか?
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欲しい人には販売していますね。
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そうなのですね、吉村さんが着用されているグッズを見ると、オレンジやピンクなどの明るい色が多いのですが、色も吉村さんが考えられているのですか?
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そうです、好きな色がオレンジ、ピンクとかの派手な色なんです。
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そうなのですね、素敵ですね! 吉村さんは法被姿で覚えてもらおうという考えもあるんですか?
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そうですね。一番お金のかからない方法かなと思いました。初めてお会いする方も、法被姿が印象に残って、覚えてくれますからね。
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そういった営業のための手法はご自身で考えられたのですか?
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はい。ただ、自分が面白けりゃいいかな。結構、物事好きか嫌いなんかで判断しているんだと思いますよ。物、買うにしても、好きか嫌いかで判断しています。
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自分が好きか、嫌いか。面白いか、面白くないか。大事ですね。
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他の経営者の方、どうか分かりませんけども(笑)
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店舗の壁紙もまた珍しい模様ですよね。
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家を建てる時に、この青海波の模様をパッと見て、これにしたいと思ったんですよ。波の絵なので、世界へ向かってという意味で考えていたんですけど、よくよく聞いたら、平和・安定っていう意味の絵らしいんですよ。インパクトがあって面白いかなと思って選んだんですけど、業者もこの壁紙を使うのはなかなかいないらしくて大変だったって言っていましたよ。
ただ、最初は玄米袋にしようかなと思ったんですよ。いろんな県の玄米の袋貼ってみるかなと。北海道から九州、沖縄まであるじゃないですか。それを貼ってみて、壁紙作ろうかなとか思っていたんです。
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面白い発想ですね!
吉村さんが仕事をしていて面白いな、楽しいなと感じる場面ってどういうところですか?
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相手が困っている時に、何かの手助けになれた時とか、「ありがとう」って感謝された時ですね。
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このご時世、お米の需要が追いつかないところもあったりするから、そういう相談も多いですよね。
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多いですね。それでご提供して、「ありがとうね」って言われた時とかも嬉しいですね。
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一般のご家庭にも売ったりされているのですか?
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この辺りは何軒か売っていますよ。高齢の方に3キロのお米を届けたりしています。それが町の米屋さんなんで。
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どういったお客さんが多いのですか?
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やっぱり高齢の方です。増えてきましたね。
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次にこれからの展望についても教えていただけますか?お米って結構重いですもんね。私もスーパーで買って帰ったら手がちぎれそうになります。吉村さんが持ってきてくれたら、もう安心ですよね。
配達された時、お話もされますか?
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結構しますよ。
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店舗の中に置いてある、いろんな神様グッズは吉村さんが集めていらっしゃるのですか?
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いつの間にか、いろんな方から神様グッズいっぱいもらって、パワースポットになりつつありますね(笑)
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この大黒様はどこから?
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昔から米屋なので、大黒様は知っていたんですよ。それで、知り合いの中華料理店に大黒様が置いてあって、ごはんを食べに行った時にはずっと触ったりしていたんですけど、そこが解体するって話になって、知り合いから「お前これもらってくれんか?」って、うちに来られて。もう6、 7年ぐらいになりますね。
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本当にパワースポットですね(笑) 吉村さんはご自宅ではやはりお米派ですか?
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家で食べるときは大体お米ですね。
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パンも食べますか?
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パンも食べます。チーズデンマークとマンハッタンも大好きです(笑)
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そうなのですね!
パンは一切食べませんなんて仰ったらどうしようかと思っていました(笑)
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チーズデンマークはもう定番でしょう!
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次に、取り扱っていらっしゃるお米についてもお伺いしたいんですけど、今扱われているお米は何種類ありますか?
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10種類ぐらいですかね。
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このお米は直接農家さんから仕入れているのですか?
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いえ、お米の卸屋さんから自分の欲しい銘柄を一年分買っています。多分、僕みたいなやり方しよる人は少ないと思います。
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そうなのですね。お米の卸屋さんも吉村さんが開拓されたのですか?
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そうですね、そこも一般の米屋さんがお付き合いしているような米屋じゃないんですよね。僕は、そのマニアックなとこに行っとるから、向こうも米屋さんの繋がり少ないんですよ。
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面白いですね。そこでも他の人と被りたくないという思いが出ているんですね。米の卸屋さんのお米を選ぶ基準はありますか?
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大体、福岡県産米を全部と業務用ブレンド米。あと、自分が大分の米で竹田のひとめぼれが好きだから、選んだりしていますね。
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実際に食べてお好きだったのですか?
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そうですね。
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どんなところがお好きなのですか?
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甘みが強いんですよ。噛みよったら、甘いんですよ。
寿司屋さんとか、料理屋さんが好む米なんです。
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30回ぐらい噛まないと甘味が出てこないって聞いたことあるんですけど、 噛みますか?
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いや、僕だって噛みます(笑)
ただ早食いなんで、飲みよるやろうってよく言われます。
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すごいですね。お米は、決定的な違いがあるわけじゃないじゃないですか。 ずっとお米に携わって来られたから、味の違いが分かるんでしょうね。
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僕も感覚ですよ(笑)
僕はおいしいって言っても、他人はおいしくないかもしれないですよね。10人食べて、5人おいしいと言えば上等なんですよ。
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お米の味以外にも決める基準はありますか?
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値段は安いに越したことないですけど、そんなに考えていないですね。あとは、飲食店が使いやすいというのも基準にありますね。
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なるほど。どのお米がいいですか?ってお客さんに相談されたりしますよね。
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僕から逆に問いますね。どういうお米をお探しなのか。粘り、甘みとか、欲しいものを聞いて、それに合うのを持っていきましょうか。で、食べて合わんかったら、次から変えましょうかという提案の仕方をしていますね。
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日本だけではなく、他の国のお米とかも気になったりされますか?
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食べたことはありますよ。
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そうなのですね!
吉村さんが考える、外国のお米と違う日本のお米の魅力って何だと思いますか?
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炊いて1日経った時が、変わるんじゃないですかね。ただ、外国産のお米も30年前の米騒動の時に比べたら、めちゃくちゃ品質も上がっているから、タイ米とかもおいしいですよね。
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改良されているってことですか?
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多分改良されていますよ、あの時に比べたら、もう気温もどんどん上がっていっていますし。どこの国のお米も甲乙つけがたいと思います。どこの国に行っても現地の料理と合わせて食べたら、どのお米もおいしいと思いますよ。
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なるほど。
海外にもお米を届けるなんてことはあるんですか?
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実は、今はストップしているんですが、中国向け輸出精米工場を九州に誘致しようって動いていて、誘致寸前まで行ったのですが、コロナが蔓延して日中関係が悪くなって、頓挫しました。
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そうなのですね。ちょっと残念ですね。
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今はストップしていますけど、ゆくゆくはまた始まるかもですね。
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それは、海外に日本のお米を届けるっていう思いでされていたのですか?
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おいしいもの食べてもらいたいなと思って。現地法人の方もいますし。
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もともと、どういったきっかけで始まったのですか?
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僕が博多どんたくを練り歩いていた時に、ちょうど何年間ぶりに再会した知り合いがいて、その方から相談を持ち掛けられたんですよ。僕も港で働いていたから、分かるんですけど、福岡っていうのは、輸入するものは多くても出すものが少ないんですよ。「九州から出すもん、なんかない?」って話だったんで、「米があるじゃないですか」って言ったら、「じゃあ、やってみようか」で動き出したプロジェクトですね。
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そんなきっかけだったのですね。
今はストップされているとのことですが、今後、海外に九州のお米を届けるというのは実現していきたいですか?
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していきたいですね。米屋はどこでも商売ができるんじゃないかなと思ったことがあるんですよね。ニューヨークの五番街を法被姿で歩いていた時、いろんな外国人から「クール、写真撮って」って頼まれて、ここで商売できるなって思いましたね。
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海外でもお米って流行っていますよね。
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やり方によっちゃ、化けるんじゃないですか。
ただ、昨今、国内需要の方が足りてないですから。まず国内じゃないですか。少しは高くてもいいんですけど、ある程度安定価格で消費者が買いやすい価格までもうちょっと移った方がいいんじゃないかなと思っていますけどね。ただ、いろんな面で農家さんのことを考えると、一長一短ありますけどね。
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そうですよね。今後の吉村商店さんの展望をお伺いしたいんですけど、国内の安定した供給の他に考えられていることってありますか?
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今よりも自分から率先して、大きくしようとはあまり思ってないんですよ。基本的に今までと変わらず、町の米屋さんで、人を笑わせ、喜ばせるような米屋さんでいいかなって。そういう考え方でしていますけどね。
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素晴らしいですね。お米って、日本人にとって食卓の中心にあるものなので、 そういうお米屋さんがいてくれるってだけで、嬉しいですね。
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日本の文化、古くからある商売だから、この商売いいなと思っていますね。
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人を喜ばせる、そういった思いはどこから来ているのですか?
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祖父が米屋を始めたのは何故かって考えた時に、日本、福岡の食文化をどうにかしたいなと思ったんじゃないですかね。収益も考えていたかもしれないけど、まず飯食わな、何も始まらないっていう思いだったんじゃないですかね。
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おじい様が食を豊かにしたいっていう思いを受け継がれて、吉村さんはその先にある笑顔を大事にされているということですか?
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うん。面白いですもんね。楽しんで商売するっていう考えでしていますね。
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本当に素晴らしい考え方だと思います。
インタビューとしては、以上で終わりにさせていただきます。
今後もどうぞよろしくお願いします!
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こちらこそよろしくお願いします。